夢で逢いましょう  〜マーガレットの咲く庭〜
文 つっきん


サチコは、マーガレットの花をきらいになろうとしていたところだった。

日もすっかり落ちて、空から息をのんでサチコを見つめているのは
右半分がふくらんだ、やわらかな黄色い光のハーフムーン。

今朝、2年2組の教室へマーガレットの花束を持っていった。
そして、そして、学校から帰るときに決めたこと。
決めたとたん、ランドセルがずっしり重くなった。
家に帰ってから…じぃぃっと庭でマーガレットとにらめっこ。

ぽたりとこぼれそうな涙を必死でこらえて
こぶしをぎゅぅうっとにぎりしめて
奥歯をぎぃぃっとかみしめて
「きらいになる。きらい、きらい。」

庭にたくさん咲いている白いマーガレット達は
どうしてよいかわからないとでもいうように、ゆらぁりゆれた。

「きれいなマーガレットね。」
そのとき、門の向こうから女の人の声がした。

サチコが振り向くと、髪の長い若い女の人が立っていた。
女の人の着ているスーツのうす桃色が、なぜかサチコの心にしみてくる。
サチコの顔を見て、女の人はおどろいたような顔をした。
「…どうしたの?」

限界を迎えたサチコの目から涙がぼとぼとこぼれた。
女の人は、すっと庭に入ってきて
そっとサチコの髪をなでてくれた。

「どうしたの?悲しいの?」

サチコは「ううん」と言って
小さな声で「マーガレット きらい。」と言った。
とたんにまた涙がどわどわ出た。

「どうして?」
「ひっ。マーガレットは毒花だって。ひっ。たかしくんが毒花だって。
毒花を持ってっちゃって、わたし、へんだもん。」

女の人は、髪をなでる手を止めて
サチコの肩に手をおいて
じっとサチコの目を見ていった。

「マーガレットは毒花なんかじゃないのよ。」
サチコもじっと女の人の目を見つめた。
女の人の目の中に、自分が見える。

「マーガレットはね、優しい花よ。
なんて言えばいいかしら。
まじめで、はにかみやさん。でも、誰のこともちゃんと見てる。そんな花よ。
たしかに、くきから出る汁でかぶれちゃう人もいるわ。
それだけよ。
バラにトゲがあるのとおなじようにね。
つむときは優しくつんであげればいいだけのことよ。」

「ほんと?」
声が震えた。
「ほんとうよ。」

「おねえさん、ありがとう。わたし、サチコ。おねえさんは?」
「…わたし? わたしはショウコ。」


これはサチコの幼い頃の記憶。
ショウコというおねえさんに逢いたくて
ずっと夕暮れ時に門の前で待っていたり、
うす桃色のスーツの人を見かけると追いかけていって顔をのぞき込んで
思わずがっかりしてしまったり、
そうそう。
たかしくんとうす桃色のスーツの人の後を付けていくと
その人駅に入っていって。
「あとつけてこっそり電車にのっちゃおう。」
と言うたかしくんに、やっとの思いで、
「お、お金ないからだめだよ。そんなことしちゃ。」って言ったっけ。
でも、ほんとはあのときこっそり乗ってしまいたかったんだけど
駅員さんの目がじーーーっと怪しげにこっちを見ているようでこわかったんだよね。
「しょうがねぇなぁ。サチコは弱虫だから。」
ツーーンと上向きにそっぽを向いたたかしくんだけど
ほんとはちょっとほっとしたでしょ?って今になったら思うわけ。

そんなショウコさん探しはいつの間にか忘れてしまって
サチコがちゃんと自分の名前を「祥子」ときれいに書けるようになる頃には
ときどき、その記憶が甦ってくることがあるくらいになってしまった。
ショウコさんの顔はしだいにはっきりとは思い出せなくなっていった。

マーガレットは好き。
ショウコさんが毒花じゃないって言ってくれて、本当によかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな祥子もすっかり大人の女性になった。
この春、結婚もしたけど仕事だって続けている。
お気に入りのうす桃色のスーツを着て行く日だってある。
あのときのショウコさん、とってもよく似合ってたっけ。

振り返ってみれば自分が歩んできた道のりは
マニュアル通りみたいな、ごくありきたりの人生のコースのような気がしてならない。
だけど、そのときそのときはどれを取っても、その時その時で精一杯だったし。
だって今となってはどうでもいいようなことに
頭を悩ませ、涙を流し、怒りに身体を震わせてきたりしたわけだし、
今だって…。

ため息をつきたい。
大声で泣きたい。
ここから逃げたい。
何がどういうわけなのかわからないけれど、
胸の奥がザワザワしはじめたら不安でいっぱいになる。
生きるって苦しすぎる!

眠れないまま、庭に出た。
夜明け前のすこーし白んだ空から祥子をだまって見つめているのは、
静かな光の左半分しかないハーフムーン。

庭に植えたマーガレットの前で、祥子はひとり静かに泣いた。
わたしは幸せなはずよ?
結婚もして、素敵な家もあって、仕事もあって
だけどどうしてこんなに苦しいの?

マーガレットたちはどうしてよいかわからないとでもいうように、ゆらぁりゆれた。


「おねえさん。ショ、ショウコ さん。」

祥子の耳にとつぜん女の子の声が聞こえた。

な、なに?わたしを呼んでる?
わたしのその呼び名を知っているのはただひとり。わたししかいないはずなのに!

サチコと呼ばれるのはほんとのところきらいだった。
ありふれた名前、「幸せ、という字のサチコさん?」と聞かれることのわずらわしさ。
だけど、みんなが「サチコ」と呼ぶ。
あたりまえだ。「サチコ」なんだから。
でも、きらい。
祥子の「祥(さち)」という字は「しょう」とも読む。
だから自分の心の中だけで自分を「ショウコ」と呼ぶことにしていた。
だれにも言ったことはない名前。呼ばれたことのない名前。

わたししか知らないはずのその呼び名で呼ぶのは誰?

振り返ると、小さな女の子がひとり、マーガレットの花束をかかえて立っていた。

「ショウコさん、サチコだよ。」


どうして?

どうして?どうして?
どうしてここに女の子が?
どうしてこの子がわたしだけの呼び名を知っているの?

頭の中を何かが流れた。
くるくるくるくる記憶の糸がたぐりよせられつつ
同時に時がらせんを描き出し、
一瞬、かつんとぶつかった。

この子は…
サチコというこの子は…小さい頃のわたし。わたし!
覚えてる。このクマのワンポイントがついた白いブラウス。

「ショウコさん、ほら、見て。
わたしのお庭のマーガレットよ。
教わったとおり、そぉっとつんだの。きれいでしょ。」

もしかして…
あのとき、祥子にマーガレットは毒花じゃないって教えてくれたのは
わたし?今のわたし?

そんな不思議なことが?

「花束、ショウコさんにあげるね。だって元気なさそうなんだもの。
サチコはマーガレットもショウコさんも大好きだよ。」

「ショウコさん、またね。またいつかね。きっと逢おうね。バイバイ。」

祥子の手に、マーガレットの花束だけが残された。
ほんわりと、あの子の手のぬくもりが残ってる…。

「ショウコさんも 大好き。」
その言葉の命が、じんわりと祥子の心にしみてきた。

ありがとう…。


「祥子、祥子。」
夫の声に目を覚ました。
祥子はびっくりした。
目を覚ましてまず見えたものが庭のマーガレットと夫のにやりとした瞳だなんて。
すっかり夜は明けていて、タオルケットがすっぽり身体を包んでくれている。

「夜中にこんなところで寝ているんだもの。
だけど、あんまり幸せそうに寝ているからさ、
起こすのやめて僕も一緒にいることにしたんだ。」
「ばかねぇ。ちゃんと起こしてくれたらいいのに。風邪ひいちゃうとあなた困るでしょ?」

そばにマーガレットの花束がひとつ。

「かわいいな。もしかして急に夜中につみたくなったのか?」
「ふふふ。内緒。」

庭に咲いたマーガレット達がゆらぁんとゆれた。

そういえば…たかしくんはどうしているのだろう?
小学校卒業してから、ずっと会っていない。
きっともういいおじさんよね?

どうか たかしくんも幸せでありますように。

庭のマーガレットがこくっとゆれた。
手の中の マーガレットの花束も、こくっと ゆれた。

サチコちゃん、また逢いましょう。
きっとまた、夢で 逢いましょう。

祥子。


*おしまい*
©tukkin 2005.5.8


BGM*記憶糸*

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